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映画「かん天な人」「てんせいな人」を始めACT FACTORY TOPIXの作品情報、米田隆司、Park Sinhoの主張、メッセージなどをお知らせします。
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この作品は、在日朝鮮人である朴監督の人生経験がベースにあります。
荒唐無稽に展開するストーリーではありますが、
そのバックグラウンドには非常に重いものがあると思います。
作品公開にあたりそんな監督のプロフィールもお伝えしたいと思います。
決してこの作品が知識や想像だけで創造されたものでないことが
ご理解いただけると思います。
まず監督自身が語るその生い立ちから順次ご紹介します。

なお、今後ご紹介するものを含め、それらはすべて監督個人の
体験による見解であることをあらかじめお断り申し上げておきます。

about 朴監督

生い立ち1

 1963年11月18日大阪生野区で生まれその後間もなく大阪のとある部落に移り住む。両親はそこで町工場を営み日々油まみれになり、ナット(ボルトをとめるネジ)を製造する。ナットはすでに製造してないが、鉄筋を止める基礎工事鉄製部材は、現在も製造している。兄弟は長男、次男、三男の自分である。

 当時朝鮮人を見る目はかなり冷ややかなものがあり、父親や祖母は日本人に対し、かなりの反発心があったようだ。そんな中金がなければ何もできないと、日々母親、祖母他の在日朝鮮人の職工数人と仕事だけの日々を送っていた。子どもの存在などほとんど意識していなかったと思う。
 
 物心ついたころ、自分はすでに両親にまったく相手にされず、たどたどしい日本語しか話せない祖母にずっと面倒をみてもらっていた。厳しい生活の中、日頃のストレスのせいで父親は、酒を飲んでは母親を殴り、家の物を壊し兄弟を殴り暴れていた。言い返せない弱い家族に対しては容赦なくあばれて殴っていた。弱いものいじめする父親の影響からか、長男、次男ともに家族を気遣うという意識はいつも間にかなくなってしまい、三男の自分をいじめるようになった。42才になった今でも父親や兄弟に対する当時の恨みは消えていない。

 荒れ狂った生活をしていた父親は「家の中で俺が一番偉い人間だから、物を壊して暴れても、お前達を殴ってもかまわないんだ」などの暴言をはきちらしてしていたこを今でも鮮明に覚えている。

 小さいころからこんな境遇に置かれた自分は、朝鮮人の儒教的考えで自分はこんなめにあわされているのだと思うようになった。朝鮮人の考え方そのものに疑問を持ち始めたのは7才くらいからだった。

 また、近隣の部落民には「朝鮮人だ」と差別されていたのもはっきり覚えている。「朝鮮人どもは日本の部落民より卑しい連中だ」などとほざいていた。

 当時、小学校では同和教育が盛んで、小学校4年くらいから、土曜日の夜は必ず解放会館で解放学習という日々を送った。狭山差別裁判反対、「石川青年を取り戻そう」などの学習をいやというほどさせられ、話というかアジ演説も耳にたこができるくらい聞かされた。しかし近所の部落民は、表向きは、「差別はいけない」「差別をなくそう」といいながら、自分の家の前で「ここ朝鮮人やで」と平気で指をさし、卑下していたそうだ。そんな話を次男から聞かされ、幼心に「差別はあかんけど、朝鮮人は差別されてもしょうがないんか」と思った。

 まるで自分は、差別、部落民、朝鮮人などの社会問題の坩堝の中で育ったみたいである。今さらながら、少しは楽しい思い出というものがなかったのかと思ってしまう……。
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質問
色々と日本で嫌な思いをしてきたと思います。たくさんの在日の人達は、なぜ?祖国に帰らないのですか?私なら嫌いな国、嫌いな人間のいる所で生きていたくありません。幼稚な考えと思うでしょうが、そう思う日本人は多いと思います。
あた 2007/05/06(Sun)12:11:13 編集
反日という方便
お返事遅くなりすいません。
日本や日本人を非難している在日は本気ではなく方便で非難しているだけです。そういう輩に限って、この上なく住みよい日本を離れたくないのが本音です。商売相手として最高の上客日本人をありがたく思っています。
外国人であることを選択している以上、ある程度の苦労や摩擦は受忍してしかるべきです。
マスコミは荒木勝龍の演説にあるように「差別」だ「参政権だ」とわめく在日(ぼくいち、きょうしょうちゅう、しんしゅくぎょくetc)ばかり目立たせ、在日が日本で理不尽な苦難を強いられているように伝えていますが、実態はまったく逆で、多くの在日は、日本で多大な恩恵を受けています。
残念なことに日本人同様、在日も多くは政治に無関心です。しかし無関心ながらも、わめき散らす連中をこの上なく迷惑に腹立たしく思っています。といって、「この面汚しども出て行け」という声もなかなか上がらないというのも実情です。ちょっとばかり上がっても、メディアや行政の「在日マンセー」の声にかき消されてしまうのもまた残念です。
だからこそ内側から「ええかげんにせい!」という声を上げてほしいのです。映画の表現、演出自体は非常にソフトではありますが、そんな思いも込めています。
TOPIX 2007/05/15(Tue)21:36:20 編集
監督の生い立ちを読ませていただいて
私は、東大阪に住む日本人です、私の父は東北の貧しい村から集団集職で関西へ来て職を転々とし今住む地の小さな町工場でネジ切りの仕事を体を壊す60代まで黙々と働いていました(ご存知のように大阪の零細企業で福利厚生などなく、体を壊すまで毎日手を深く金属のくずで切り刻まれるなか、早くに亡くなった母と一回り以上年上の兄、そして僕を育ててくれました。)昔の東北人らしく無口でただ夜遅くまで働き寝る、たまの楽しみはパチンコと酒、僕を殴ることはありませんでしたが、やんちゃだっつた兄はよく叩かれたそうです。

 僕の通っていた長瀬北小学は、周りの幾つかの被差別部落(出身者は「村」と言う)とその他の町から、そして多くの在日の生徒が一緒に学ぶ普通でまた特殊な学校でした、国旗は無縁、国歌は覚えたければ自分で覚えろ、という感じで、一時期韓国語で授業の始めと終わりの挨拶をなぜかさせられました、また、道徳の授業の代わりに「にんげん」という時間があり、副読本(にんげん)を使い国家の否定というよりは、日本人(日本人だけには決して日本民族という言葉は使わない)と歴史、皇室の否定、偏った見方(在日、部落、への差別と偏見は6年を通しいけないと徹低して教えられたが、、)により進められ、また学年集会等では民族学級(日本民族ではない)により、パンソリ、チャンゴ、サムルノリなど毎回催され(否定する気は無かったが学校その他への言い様のない違和感は結構生徒は持っていた)また、よくムーグンファ、アリラン、その他よく教えられた(国歌は歌えないが、これらの歌は最近まで歌えた)、いかに朝鮮半島、在日、部落、を苦しめたか(教師の思想、価値観、歴史観で)卒業まで続いた(事実のもと正確か、時代背景や、当時の立場、中立的見方など無く)自分は不変的に当時から日本人(日本民族)としての自覚と日本に対して愛情は強かった(もちろん公には出来ず)が同じく日本(日本人、部落)、半島(在日とその社会)に対し言いようの無い冷めた思いと胡散臭さを、そして怒りと虚しさ等などごちゃまぜにした想いが今も絶えず自分を悩ませる。(恨と通じる)

 中学も地元の金岡中学へ進み(小学校程ではないが反日)教師にハングルを習えと言われたり自衛隊には入るな(職業差別では、、、?)と言われたり、民族教育(日本民族ではない)は熱心だったが小学校ほどでなく、まあ、普通(慣れた?)な3年間でした。が、小学校で多くの時間を人権教育(部落、在日、障害者問題、その他)に取られ本来の学業にまわされる時間をけずられ(頭のよい者はいいが)偏差値等(計ることの出来ない機会や経験を失った)に響いたか恐らく多くの者が本来のよりよき未来と行く道を(かなり実例をあげずオブラートに包みました。)閉ざされたと思います。(同*コネクション、在*コネクション、により毎年えせウヨ、ヤクザ、運動系、等々にみを投じることは皆が知ってますがタブーです。)

 よく大阪は特亜のパラダイスと言われますが地元ではパラダイスとは一見みえないですが明らかに同和利権があり(一部の問題として彼らと、報道は終らせようとしていますが同和ぐるみとしか現状、また体験から見えない。)そこに在日が悪く言えば寄生、良く言えば共闘、依存、し矢面には立たないという現状が見てとれます。

 私の在日感については、(同和についても)とくに生物学的に考えても民族的考え価値観、誇りなど違いがあれども根拠の無のにウリ(日本人にも一部はいるが)の方が優れていると言うのに辟易しウンザリ(mkタクシーの会長がTVで真顔で言っているのを見てあらためて強く感じた。)また、身近な在日の敵意(勉強で勝つ、駄目ならスポーツ、クソ~^~~!!!しばく!!!的な)しかも一方的な、自分は頭もよくないし、スポーツも不得手だったので意味無く在日(の番長グループ)のターゲットになりました(殺されかけたことも、、、。)。小、中と続き20年ちかく不眠症、対人恐怖症、他により国と病院のお世話になっています(いじめが原因とは誰にも言ってないが。)。特別半島人(在日含む)にたいし過去から来る怒り憎しみなど無いが、半島型中華主義、ウリジナル、コリアンカルト、在特、等々による日本(日本民族)に対する民族の非暴力的同化(妄想と嘘による)に対してのみがどうしても許せないのです(反社会的な行動に出る気も戦時下のような狂気的行動に出る気もないですがたとえがたい怒りと殺意が解放されることなく心の中に生まれた。)これはシナにも当てはまりますが、この中華主義の問題が変わらねば東アジアの地域統合は一民族を除くすべての民族に人類史の終るまで永遠に屈服と従属、癒されることなき苦痛とくび木を与え続けるのではと考えます。(実状はそれは成されないと思いますし変わらない、統合には反対です。東アジアの歴史、民族史、戦後の国内の特亜史をみても。)在日の方々には分かりませんが在日の全員帰国のみが日本人の平穏とあるべき日常そしてささやかな幸せをもたらすと強く強く思うのです。


 







日本崩壊5秒前 2007/06/28(Thu)20:19:10 編集
日本崩壊5秒前様
コメントありがとうございます。

日本崩壊5秒前様の体験はまさに差別利権問題そのものと思います。

当たり前の話ですが、部落にせよ、在日にせよ、差別というものを感じ、解消したいのであれば、自ら尊敬される存在となるべく努力を続ける以外に方法はないと思います。

今、差別と叫んでいる人びとは、部落、在日を含め差別を口実に行政や一般人を恫喝しているに過ぎないといってもいい過ぎではないくらい地に堕ちた状態にある、といっても過言ではないでしょう。その一方で本当に救うべき人びとが見捨てられている状況はとても看過できるものではありません。諸悪の根源は差別を理由とした利権構造でしょう。公平に公正に分配されるべきものが、利権によって横取りされているということです。

「傍若無人な者が得をする」「弱者を装う者は自分より弱い者に尊大になる」
家庭や地域での監督のこうした体験がこの映画制作に反映されているのかもしれません。

監督は、日本で恩恵を受けていることを認めず、反日的な思考回路から卒業できない在日は、北でも南でも好きな方に帰るべきであろうとコメントしています。

私もまったく同感で、そういう者すべてを追い出すことは無理であっても、日本や日本人にある程度以上の害をなしたものは自動的に送還とできるよう法整備をしてほしいと思います。

これはもちろん在日だけでなく、すべての外国人に当てはめてほしいことです。
米田隆司 URL 2007/07/02(Mon)00:25:42 編集
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