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映画「かん天な人」「てんせいな人」を始めACT FACTORY TOPIXの作品情報、米田隆司、Park Sinhoの主張、メッセージなどをお知らせします。
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在特会での講演で来場者に配った資料です。

<映画「かん天な人」ができるまで>

■左巻きだらけの自主制作映画
自主制作映画の前は、舞台演劇をやっていました。今もそうですが、プロ・アマを問わず、芸事を嗜む者は皆左翼たるべき、みたいな妙な空気があって(世論がマスコミの思うままの状況ではある意味仕方ないですが)、ご多分にもれず自分たちも「反権力」「反差別」みたいな作品を作っていました。

■在日朝鮮人はヒーロー?! 天才?!
演劇や映画の世界も在日が多数「活躍」しています。これは今も昔も変わりません。それ自体何も問題はありませんが、せっかく在日がいるのにその実像を描いた作品が皆無に近いというのは、何か不自然なものを感じます。在日が登場する作品は「差別と闘うけなげな在日」という描かれ方にも、在日の監督・俳優を不自然によいしょする評論も、違和感を感じます。

■きっかけは9.17
どことなくもやもやした思いを持っていたが、さしたる変化も9.17まで特にありませんでした。同年のワールドカップであれだけ韓国のデタラメぶりが露呈したのに恥ずかしい限りです。しかし、共産主義が殺戮と人権蹂躙のカルト思想であること、ソ連や支那が独裁国家であることなどは本能的に感じていました。それが9.17以降の急速な意識変化につながったのかもしれません。あわせて当時、加速度的に発展を続けていたネットもこの変化を促したのはいうまでもありません。

■4年越しの企画 映画「かん天な人」
9.17のあと、韓国人である監督とも何度も話し合いました。じつは、以前は監督の方が、現実的な見方をしていて、日本人である自分が、諭されることも多かったのです。ともあれ、在日問題は自分たちの創作の大テーマとなりました。「かん天な人」の企画自体は、10年ほど前から存在し、昔自殺したある帰化議員の存在がヒントになってはいましたが、原案では在日問題、北朝鮮問題はまったくありませんでした。むしろ在日差別がエッセンスとしてあったように思います。9.17以降、監督と打ち合わせを重ねる中で、北朝鮮問題や総連の問題、ひいては在日の問題にシフトしていき、翌(2003年)秋、映画「かん天な人」としてその基本的な構想がまとまりました。

■在日差別から在日利権へテーマを180度転換
もともと私は歴オタを自任しておりましたが、自分の好き好みだけでネタを集めるのとは違い、映画脚本という形に起こすのはなかなか簡単ではありませんでした。また映画「かん天な人」に先行する形で朝鮮ヤクザのどうしようもない一日を描いた作品を撮っていたこともあり、企画の進行はなかなか思うように進みませんでした。しかし今にして思えば、その分、じっくりと考える時間があったことが幸いしたのかもしれません。試行錯誤を繰り返し、幾人もの関係者に回し読みをしてもらい、2004年末、脚本が完成しました。この時点ですでに、構想を立ててからでも2年の月日が経っていました。その後撮影準備をしながら、若干の修正を加え、約半年後の翌2005年5月、映画はクランクインしました。

■降って湧いた危機「人権擁護法案」
撮影体制も固まり、しばしリラックスしていた2005年3月、政界ではとんでもない騒ぎが起きていました。人権擁護法案提出騒動です。幸い法案提出は、2度,3度くじけ、映画撮影中の5月には少し沈静化していましたが、主な撮影が終わった5月下旬くらいから「出す」「出さない」の情報が錯綜し、今にして思えばそれこそ「心配のしすぎ」ですが、当時はまじめに人権擁護法が成立すると、見ず知らずの方々から「糾弾会ご招待」「損害賠償ご請求」の嵐にさらされるのではないか、何よりこの作品が封印されるのではないかという危機感を募らせておりました。しかしこの法案によって自分たちの作品の狙い所が当たっていたことを確信し、またその危機感から参加した人権擁護法案反対運動が今日の自分(こうして皆さまの前で話している自分も含め)につながっていったのはなんとも皮肉なことと思います。
話は前後しますが、脚本に四苦八苦していた2004年春、例のイラク三馬鹿事件が起きました。9.11のとき偉そうに「アメリカ人は被害者としてだけでなく、先進国の国民として考えるべきことがある」と、言っていた左翼文化人が、無謀な行為によって日本全体を危機に陥れかねなかった三馬鹿をひとことも責めず、政府にばかり責任を追及する姿を見て、「こいつらの血液が逆流するような作品をつくってやる」と心に決めました。

■問題作から入門作へ
2005年末ついに作品は、効果音をのぞいて完成します。そして2006年5月17日、総連・民団の歴史的共謀の日、この映画の試写会を行いました。その後、映画を上映しようとすると、北朝鮮がミサイルを発射したり核実験をするなど、まるで自分たちを恫喝しているのか、あるいは応援しているかよくわからない動きもありましたが、現在も継続して上映しております。しかし、昨今の在日問題への関心の高まりのため、「かん天な人」も「問題作」から 「入門作」になってしまった。しかしこれはこれでよいと思っております。今後いっそう在日問題への関心が高まり、第二、第三の「かん天な人」が世に出ることを心より願っております。

本日講演の資料に代えて、映画「かん天な人」の制作経緯を述べさせていただきました。
お読みいただきありがとうございます。

ACT FACTORY TOPIX事務局代表
米田隆司(在特会本部スタッフ)
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無題
僕は今、自主制作映画を撮っています。同じく、左の人間ばかりです。自主制作映画の場合は、左、ロリコン、オタクの三点セットの人間ばかりで辛いです。何と言っても映画のコンクールなどの審査員達は完全なロリコンで左寄り。なので賞を獲る作品は少女が主人公が多い。 暴力的、差別的な作品はまず嫌われる。けれど、なぜかカルト的な暴力だと好まれる。 日本の映画界は遅れている。というか、バカでセンスの無い人間が牛耳っている。 日本は素晴らしい監督が結構いるのになぜか映画会社がバカ過ぎる。映画を愛していないと思う。もしくは愛しているがセンスが悪すぎる。
ACT FACTORY TOPIX 2007/07/08(Sun)06:03:35 編集
無題
屈折した愛情ってとこでしょうか。反権力は美徳と勘違いし、どうでもいい与太話でもそこに結びつけてしまうというおめでたくもどうしようもない精神構造があるように思います。正義感や義憤ということであれば、権力側だろうと反権力側だろうと悪人許すまじとなるのですが、そうなっていないところに彼らの唱える理想に腐った臭いを感じます。
米田隆司 2007/07/10(Tue)19:15:09 編集
無題
映画に関しては内容は自由だと思います。反権力だろうと、暴力だろうと、なんだろうと。作り話ですから。殺人鬼の話でも。しかし、暴力的な話だと本当に評価されません。審査員の好みですかね。というより、少女が主人公の作品に異様に喜びます。だったらヤクザ映画なんて配給するなと言いたくなります。なぜ、オタクは左翼でロリコンなんですかね? 日本のマスコミは少女といい大人の恋愛について文句を言いませんよね。 ロリコンは心の中だけにしてほしいです。
ACT FACTORY TOPIX 2007/07/11(Wed)15:48:02 編集
無題
結局、左翼思想って、モラルと責任を破壊する思想なんですね。
だから反社会的なことをする人間にはすばらしい金科玉条なのでしょう。
社会に対して理由なく反発しているオタクの中に左翼に走るやつが出てくるのもうなづけます。
米田隆司 2007/07/13(Fri)12:49:40 編集
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事務局代表兼脚本担当
古賀大造名で出演もしています。
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