映画「かん天な人」「てんせいな人」を始めACT FACTORY TOPIXの作品情報、米田隆司、Park Sinhoの主張、メッセージなどをお知らせします。
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この度の東日本大震災に関するコメントを、朴監督よりいただきました。
皆様、ご一読いただければ幸いです。
一日も早い復興を祈って
2011年3月11日(金)14時48分頃、私は、九段下の道場で行なわれた巻き藁を真剣で切る試斬会に参加していました。巻き藁を2本斬り、続いて3本目と意気込んでいたそのとき、それまでまったく経験したことのない巨大な揺れに襲われました。
ご承知のように、その日はすべての交通機関は不通になり、結局九段下から中野の自宅まで徒歩で帰りました。到着後部屋を見ると醤油差しがひっくり返り、床に醤油がこぼれているくらいでたいした被害はありませんでした。しかし本当に怖ろしかったのは事実です。正直、自分の命は救われたと思わざるを得ない感じでした。
そんな状況ではありましたが、翌12日は仕事で立川まで行かなければならず、不安を感じつつも立川へ。立川駅に着くなり、立川駅で一夜を過ごした人が、まだたくさんいる中、JRはまたも不通となり、今回の地震の凄さ、恐ろしさをひしひしと感じました。
そんな状況ではありますが、仕事は仕事。粛々と自分の役目をこなしていたわけですが、仕事先でよく顔を見かけるおばさんが、めずらしく自分が話かけたことに愛想よくリアクションしてくれたのです。普段は無視されることが多いのに不思議だなと思いつつも、仕事中なので、すぐにその場を離れ、自分の持ち場に戻りました。
その数分後、他のスタッフたちが、そのおばさんについて話をしているのが聞こえてきました。その人は宮城県の、それも震源地近くの出身で、今もそこには、親兄弟が住んでいるということがわかりました。
その人は、自分の妹とまったく連絡が取れないと涙ぐんでいたそうです。先ほどのリアクションを思い出し、こういう非常事態に際し、人は自分の気持ちとは、相反する行動をしてしまうものなのかなと、考えさせられました。
13日も立川に行き、通常より早めの、17時頃には帰宅出来ることになり、休憩室に一人でいると、屈強な風貌で大魔神のような顔をしながらも、気はとても優しいと現場では有名な人に「大丈夫だった?」声をかけてもらいました。いつも通りの豪快で元気な口調にほっとし、自分も「大丈夫ですよ!」と元気よく 返事をしました。
しかしその後、その人は、ぽつりと「気仙沼に両親のこしてんだなぁ。連絡取れないんだ」と悲しげに呟きました……。
こんな現実が、自分の目の前で起っている中、自分は何をすべきか、誰にどんな支援をすべきか、世間一般で呼びかけられている支援や協力以外具体的なことはまだ分かりません。
しかし、今後の復興のために、微力な自分ではありますが、小さなことでも出来ることには協力しようと思っています。
地震災害、原発火災で非常事態に陥っても、災害に置ける自主的な危機管理、他の地方や海外からの援助などに、見事な連携を確実に行なう日本はすばらしいと思います。政権が機能不全云々はさておき、この困難に立ち向かう日本人の姿勢は尊敬に値します。
朴信浩は今、日本に住んでいて救われたと思います。
あくまで、私個人の主観的な見解ですが、今回の地震が北朝鮮で起ったことではないことは、はたして、朝鮮民族にとってよかったのかどうか……。ふとそんなことも考えてしまいました。
この度の「東日本大震災」により、被災し亡くなられた方々に、謹んで哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈り申し上げます。
被災された皆様、そのご家族の方々に対して、お見舞い申しあげると共に、一日も早い復興をお祈り申しあげます。
ACT FACTORY TOPIX 代表
映画「かんてんな人」「てんせいな人」監督
朴信浩
皆様、ご一読いただければ幸いです。
一日も早い復興を祈って
2011年3月11日(金)14時48分頃、私は、九段下の道場で行なわれた巻き藁を真剣で切る試斬会に参加していました。巻き藁を2本斬り、続いて3本目と意気込んでいたそのとき、それまでまったく経験したことのない巨大な揺れに襲われました。
ご承知のように、その日はすべての交通機関は不通になり、結局九段下から中野の自宅まで徒歩で帰りました。到着後部屋を見ると醤油差しがひっくり返り、床に醤油がこぼれているくらいでたいした被害はありませんでした。しかし本当に怖ろしかったのは事実です。正直、自分の命は救われたと思わざるを得ない感じでした。
そんな状況ではありましたが、翌12日は仕事で立川まで行かなければならず、不安を感じつつも立川へ。立川駅に着くなり、立川駅で一夜を過ごした人が、まだたくさんいる中、JRはまたも不通となり、今回の地震の凄さ、恐ろしさをひしひしと感じました。
そんな状況ではありますが、仕事は仕事。粛々と自分の役目をこなしていたわけですが、仕事先でよく顔を見かけるおばさんが、めずらしく自分が話かけたことに愛想よくリアクションしてくれたのです。普段は無視されることが多いのに不思議だなと思いつつも、仕事中なので、すぐにその場を離れ、自分の持ち場に戻りました。
その数分後、他のスタッフたちが、そのおばさんについて話をしているのが聞こえてきました。その人は宮城県の、それも震源地近くの出身で、今もそこには、親兄弟が住んでいるということがわかりました。
その人は、自分の妹とまったく連絡が取れないと涙ぐんでいたそうです。先ほどのリアクションを思い出し、こういう非常事態に際し、人は自分の気持ちとは、相反する行動をしてしまうものなのかなと、考えさせられました。
13日も立川に行き、通常より早めの、17時頃には帰宅出来ることになり、休憩室に一人でいると、屈強な風貌で大魔神のような顔をしながらも、気はとても優しいと現場では有名な人に「大丈夫だった?」声をかけてもらいました。いつも通りの豪快で元気な口調にほっとし、自分も「大丈夫ですよ!」と元気よく 返事をしました。
しかしその後、その人は、ぽつりと「気仙沼に両親のこしてんだなぁ。連絡取れないんだ」と悲しげに呟きました……。
こんな現実が、自分の目の前で起っている中、自分は何をすべきか、誰にどんな支援をすべきか、世間一般で呼びかけられている支援や協力以外具体的なことはまだ分かりません。
しかし、今後の復興のために、微力な自分ではありますが、小さなことでも出来ることには協力しようと思っています。
地震災害、原発火災で非常事態に陥っても、災害に置ける自主的な危機管理、他の地方や海外からの援助などに、見事な連携を確実に行なう日本はすばらしいと思います。政権が機能不全云々はさておき、この困難に立ち向かう日本人の姿勢は尊敬に値します。
朴信浩は今、日本に住んでいて救われたと思います。
あくまで、私個人の主観的な見解ですが、今回の地震が北朝鮮で起ったことではないことは、はたして、朝鮮民族にとってよかったのかどうか……。ふとそんなことも考えてしまいました。
この度の「東日本大震災」により、被災し亡くなられた方々に、謹んで哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈り申し上げます。
被災された皆様、そのご家族の方々に対して、お見舞い申しあげると共に、一日も早い復興をお祈り申しあげます。
ACT FACTORY TOPIX 代表
映画「かんてんな人」「てんせいな人」監督
朴信浩
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