映画「かん天な人」「てんせいな人」を始めACT FACTORY TOPIXの作品情報、米田隆司、Park Sinhoの主張、メッセージなどをお知らせします。
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この映画の試写会、一般公開にもお見えになり、
ご自身のブログでも紹介してくれた新井知真さんの
そのブログ「コリアン・ザ・サード」が書籍になって
現在絶賛発売中です。
「かん天な人」冒頭で荒木勝龍が
「差別や参政権だとわめいている連中がじつは
ほんの一握りの連中にすぎない」
「かん天な人」ラストシーンで、同じく荒木勝龍が、
「共生を実現するためには在日朝鮮人は
激しい痛みを覚悟しなければならない。
しかし、痛みを伴う共生は、都合だけのいい
共生よりはるかに強固なものになる」
と演説をしていますが、この一見過激ともとれる台詞が
じつはそれでも控えめな至極まっとうなものであることも
この本をお読みいただくとよりご理解いただけるのではとも思います。
在日あるいは韓国系もその多くは普通に生きている人々です。
そのことに触れず、「被害者」を標榜するものだけが
目立つ現状が異常であることに多くの人に気づいていただければと思います。
本の帯には「在日は全員必ず読むべし」とありますが、
私米田は、日本人こそ必ず読むべしと思います。
強制連行や従軍慰安婦などの嘘を並べ立てる
姜尚中や朴一といった連中は、北朝鮮にでも熨斗をつけて
送りたいのは当たり前として、こうした一部の在日を
増長させた、あるいは利用するために煽った日本人の存在を
忘れてはならないからです。
「コリアン・ザ・サード」を読み、「かん天な人」を見れば、
むしろ意識改革が必要なのは日本人の方であることに
お気づきになることでしょう。
日本人は朝鮮人にこれからも謝罪し、償って
いかなければいけないと思っていた人はもちろんですが、
筑紫哲也をジャーナリストと思っていた人も
井筒和幸の「パッチギ」に感動していた人も
ピースボートに乗ることが夢であった人も
北海道の中学生が安倍総理に手紙を
送ったことに感動し、それに対する
心ない大人の中傷に心を痛めていた人も
全部
アホらしいくらいデタラメ
であることがわかり、デタラメを信じていた
ことに怒りを覚えていくことでしょう。
ぜひ、ご一読ください。
そして、「かん天な人」を見にきてください。
2007年1月20日(土)18:30開場 19:00上映
2007年2月17日(土)18:30開場 19:00上映
東京ボランティアセンター会議室
(JR飯田橋駅駅ビルラムラ10階 ※2階に書店のあるビルです)
http://www.tvac.or.jp
きっと「知って良かった!」と思っていただけるはずです。
ご自身のブログでも紹介してくれた新井知真さんの
そのブログ「コリアン・ザ・サード」が書籍になって
現在絶賛発売中です。
「かん天な人」冒頭で荒木勝龍が
「差別や参政権だとわめいている連中がじつは
ほんの一握りの連中にすぎない」
「かん天な人」ラストシーンで、同じく荒木勝龍が、
「共生を実現するためには在日朝鮮人は
激しい痛みを覚悟しなければならない。
しかし、痛みを伴う共生は、都合だけのいい
共生よりはるかに強固なものになる」
と演説をしていますが、この一見過激ともとれる台詞が
じつはそれでも控えめな至極まっとうなものであることも
この本をお読みいただくとよりご理解いただけるのではとも思います。
在日あるいは韓国系もその多くは普通に生きている人々です。
そのことに触れず、「被害者」を標榜するものだけが
目立つ現状が異常であることに多くの人に気づいていただければと思います。
本の帯には「在日は全員必ず読むべし」とありますが、
私米田は、日本人こそ必ず読むべしと思います。
強制連行や従軍慰安婦などの嘘を並べ立てる
姜尚中や朴一といった連中は、北朝鮮にでも熨斗をつけて
送りたいのは当たり前として、こうした一部の在日を
増長させた、あるいは利用するために煽った日本人の存在を
忘れてはならないからです。
「コリアン・ザ・サード」を読み、「かん天な人」を見れば、
むしろ意識改革が必要なのは日本人の方であることに
お気づきになることでしょう。
日本人は朝鮮人にこれからも謝罪し、償って
いかなければいけないと思っていた人はもちろんですが、
筑紫哲也をジャーナリストと思っていた人も
井筒和幸の「パッチギ」に感動していた人も
ピースボートに乗ることが夢であった人も
北海道の中学生が安倍総理に手紙を
送ったことに感動し、それに対する
心ない大人の中傷に心を痛めていた人も
全部
アホらしいくらいデタラメ
であることがわかり、デタラメを信じていた
ことに怒りを覚えていくことでしょう。
ぜひ、ご一読ください。
そして、「かん天な人」を見にきてください。
2007年1月20日(土)18:30開場 19:00上映
2007年2月17日(土)18:30開場 19:00上映
東京ボランティアセンター会議室
(JR飯田橋駅駅ビルラムラ10階 ※2階に書店のあるビルです)
http://www.tvac.or.jp
きっと「知って良かった!」と思っていただけるはずです。
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在日朝鮮人部落の格差
崔洋一監督映画作品の「血と骨」は大阪生野の朝鮮人部落をモデルに描いています。時代は戦前の1930年代から、高度経済成長期の1960年代にまたがる一種の「大河ドラマ」ですね。
映画の中では、市場があり、そこで豚をさばくシーンなどがあり、他の物資はともかく、食糧に関しては、公の場では手に入いらないものも、闇ではいくらでも手に入るように描かれていました。実際、済州島出身者の集まるところは、食糧は豊富にあったと聞いています。
済州島は四方を海に囲まれ、朝鮮半島の中では比較的温暖な気候で、海産物に恵まれ、牧畜も盛んであったそうです。済州島-大阪間には定期的便(君が代丸が有名)があり、それらの物資も常時持ち込まれ、朝鮮部落の人間がそれを手に入れていたのは容易に想像できます。
このように比較的恵まれた状況にあっても、朝鮮部落でいつも問題が起きてしまうのは、やはり朝鮮人自身に原因があるのは間違いないと思います。自分の親族は最初から大阪に上陸したのではないので、彼らが人づてに聞いた話も混じっていますが、朝鮮部落の状況は自分が考えるものと大差ないと思います。
一方、韓国の全羅道出身の人間は、釜山港〜下関港に就航している定期的な船便で行き来し、現在のJR下関駅の近くにある朝鮮部落「大坪(現在は違う地名に改称)」に腰を据えるらしいです。
さて、大坪といえば幼少の頃の自分に、母親がよく言っていた、大阪の朝鮮部落と大坪の朝鮮部落の違いを思い出します。自分の両親は、1956年に長男(自分の兄です)が、下関で生まれた5年後に大阪の生野に移り、その2年後に現在の住居がある大東市に移り、そこに落ち着いたそうです。
1940年代〜50年代の青春期を大坪で過ごした母は、大阪の朝鮮部落の市場の豊かさにびっくりしたそうで、「ここは食べるものは何でもそろうんや」と暇があるとつぶやいていました。
豚肉やキムチを食べない自分に、「お前こうして豚肉もキムチがあるんだから、だまって食え」と食事の度に言っていました。小さかった自分は、豚肉やキムチは苦手な食べ物で、母親の話も上の空でした。
「下関では、豚肉は貴重品で、月に一度市場に出るか出えへんかや。たまに豚肉が売ってても、高うてかあちゃんの家は買えんかったんやで。そやから豚の皮こうて家で食うてたんや」
今食べられる物があることをありがたく思い、ちゃんと食べることの大切さを叩きこまれたのも母が若い頃、下関と大阪で体験した正反対の食糧事情があったからこそです。
そんな自分の生い立ちを話す母は、何かにつけ、大坪の出来事を話します。近所同士の言い争いや罵り合いは日常茶飯事で、それはしばしばどつき合いの喧嘩になってしまい、ほとほと呆れることも多かったそうです。
日本人に対する暴行恐喝が発生すると、必ず警察が大人数でやってきて、必ず容疑者を引っ張っていくことはもはや常識というか、朝鮮部落の風物詩だったみたいです。
盗難などが発生した時なども、警察がガサ入れすると、なぜか必ず盗難品が見つかったとか。薬物を売り歩く者、愚連隊を作り町で肩で風きり下関を支配していると誇示するならず者等、すべての悪は、あの大坪にあったと、何度も聞かされました(何故か淡々とした口調で)。
ちなみに朝鮮人の愚連隊同士の殺人事件があった時などは、一転警察は我関せずだったそうです。当時の警察にも「本音を言えば、ややこしい奴がいなくなってラッキー」あるいは、「触らぬ神にたたりなし。くわばらくわばら」という空気があったように思います。
あれだけ日常的に問題が起こればそう思ってしまうのもわからなくはありません。映画「かん天な人」の最初のシーンでもそういう台詞が出てきます。ご覧になった方は思い出してください。これからご覧になる方は、ぜひ耳ダンボにして台詞を聞いてください。
なお、警察はこの大坪をガサ入れするときは、かならず大人数だっただそうです。数人で行くと、返り討ちに合うことは、警察自身がよく知っていたからでしょうね。
大阪での状況は聞かされたことはありませんが、つくづく今の自分が思うのは、大阪と下関の朝鮮部落には、明らかな格差があり、下関では食べる物もままならず、ひもじい思いをすることが多かったみたいです。この当時の大坪の朝鮮人にとって、それは悪を生むパワーそのものでした。もちろん諸悪の根源はそれだけではないのは当然ですが、原動力のひとつになったことは確かでしょう(はっきりいってありがたくないことですが)。
崔洋一監督映画作品の「血と骨」は大阪生野の朝鮮人部落をモデルに描いています。時代は戦前の1930年代から、高度経済成長期の1960年代にまたがる一種の「大河ドラマ」ですね。
映画の中では、市場があり、そこで豚をさばくシーンなどがあり、他の物資はともかく、食糧に関しては、公の場では手に入いらないものも、闇ではいくらでも手に入るように描かれていました。実際、済州島出身者の集まるところは、食糧は豊富にあったと聞いています。
済州島は四方を海に囲まれ、朝鮮半島の中では比較的温暖な気候で、海産物に恵まれ、牧畜も盛んであったそうです。済州島-大阪間には定期的便(君が代丸が有名)があり、それらの物資も常時持ち込まれ、朝鮮部落の人間がそれを手に入れていたのは容易に想像できます。
このように比較的恵まれた状況にあっても、朝鮮部落でいつも問題が起きてしまうのは、やはり朝鮮人自身に原因があるのは間違いないと思います。自分の親族は最初から大阪に上陸したのではないので、彼らが人づてに聞いた話も混じっていますが、朝鮮部落の状況は自分が考えるものと大差ないと思います。
一方、韓国の全羅道出身の人間は、釜山港〜下関港に就航している定期的な船便で行き来し、現在のJR下関駅の近くにある朝鮮部落「大坪(現在は違う地名に改称)」に腰を据えるらしいです。
さて、大坪といえば幼少の頃の自分に、母親がよく言っていた、大阪の朝鮮部落と大坪の朝鮮部落の違いを思い出します。自分の両親は、1956年に長男(自分の兄です)が、下関で生まれた5年後に大阪の生野に移り、その2年後に現在の住居がある大東市に移り、そこに落ち着いたそうです。
1940年代〜50年代の青春期を大坪で過ごした母は、大阪の朝鮮部落の市場の豊かさにびっくりしたそうで、「ここは食べるものは何でもそろうんや」と暇があるとつぶやいていました。
豚肉やキムチを食べない自分に、「お前こうして豚肉もキムチがあるんだから、だまって食え」と食事の度に言っていました。小さかった自分は、豚肉やキムチは苦手な食べ物で、母親の話も上の空でした。
「下関では、豚肉は貴重品で、月に一度市場に出るか出えへんかや。たまに豚肉が売ってても、高うてかあちゃんの家は買えんかったんやで。そやから豚の皮こうて家で食うてたんや」
今食べられる物があることをありがたく思い、ちゃんと食べることの大切さを叩きこまれたのも母が若い頃、下関と大阪で体験した正反対の食糧事情があったからこそです。
そんな自分の生い立ちを話す母は、何かにつけ、大坪の出来事を話します。近所同士の言い争いや罵り合いは日常茶飯事で、それはしばしばどつき合いの喧嘩になってしまい、ほとほと呆れることも多かったそうです。
日本人に対する暴行恐喝が発生すると、必ず警察が大人数でやってきて、必ず容疑者を引っ張っていくことはもはや常識というか、朝鮮部落の風物詩だったみたいです。
盗難などが発生した時なども、警察がガサ入れすると、なぜか必ず盗難品が見つかったとか。薬物を売り歩く者、愚連隊を作り町で肩で風きり下関を支配していると誇示するならず者等、すべての悪は、あの大坪にあったと、何度も聞かされました(何故か淡々とした口調で)。
ちなみに朝鮮人の愚連隊同士の殺人事件があった時などは、一転警察は我関せずだったそうです。当時の警察にも「本音を言えば、ややこしい奴がいなくなってラッキー」あるいは、「触らぬ神にたたりなし。くわばらくわばら」という空気があったように思います。
あれだけ日常的に問題が起こればそう思ってしまうのもわからなくはありません。映画「かん天な人」の最初のシーンでもそういう台詞が出てきます。ご覧になった方は思い出してください。これからご覧になる方は、ぜひ耳ダンボにして台詞を聞いてください。
なお、警察はこの大坪をガサ入れするときは、かならず大人数だっただそうです。数人で行くと、返り討ちに合うことは、警察自身がよく知っていたからでしょうね。
大阪での状況は聞かされたことはありませんが、つくづく今の自分が思うのは、大阪と下関の朝鮮部落には、明らかな格差があり、下関では食べる物もままならず、ひもじい思いをすることが多かったみたいです。この当時の大坪の朝鮮人にとって、それは悪を生むパワーそのものでした。もちろん諸悪の根源はそれだけではないのは当然ですが、原動力のひとつになったことは確かでしょう(はっきりいってありがたくないことですが)。
おかげさまで「かん天な人2006ファイナル」も無事終了。
今回はmixi半分、一般ネット半分(コリアン・ザ・サード含む)
+某巨大掲示板住人の方々という構成でした。
毎回思うのですが、本当にブログやそれを紹介している
他のサイトやブログからのご来場って
本当にすごいと思います。
自主映画やりだして数年になりますが、
知り合い以外がこんなにも集まったのは今回が初めてです。
手応えを感じるとともに、もっと不特定多数に!
と思う次第です。
10/28のカンパ
7,500円+商品券2枚(1,000円分)
10/29のカンパ
3,000円
合計10,500円+商品券2枚(1,000円分)
※商品券は制作費、事務費等の一部に充てさせていただきます。
口座に入金できませんので、ご了承ください。
ということで地方上映していただける方、ぜひご一報を!
速報
2007年1月20日(土)18:30開場 19:00上映
2007年2月17日(土)18:30開場 19:00上映
来年の上映、決定しました!
今回はmixi半分、一般ネット半分(コリアン・ザ・サード含む)
+某巨大掲示板住人の方々という構成でした。
毎回思うのですが、本当にブログやそれを紹介している
他のサイトやブログからのご来場って
本当にすごいと思います。
自主映画やりだして数年になりますが、
知り合い以外がこんなにも集まったのは今回が初めてです。
手応えを感じるとともに、もっと不特定多数に!
と思う次第です。
10/28のカンパ
7,500円+商品券2枚(1,000円分)
10/29のカンパ
3,000円
合計10,500円+商品券2枚(1,000円分)
※商品券は制作費、事務費等の一部に充てさせていただきます。
口座に入金できませんので、ご了承ください。
ということで地方上映していただける方、ぜひご一報を!
速報
2007年1月20日(土)18:30開場 19:00上映
2007年2月17日(土)18:30開場 19:00上映
来年の上映、決定しました!
2006年7月、高田馬場ババチョップシアターでの公開を皮切りに、
もはやまったなしとなった北朝鮮、総聯、そして在日の問題を
題材にした話題の問題作「かん天な人」の年内最後の上映会を
10月28日(土) 東京ボランティアセンターで行います。
まだ見ていない方も、もう一度見たい方もぜひお越しください。
上映後、30分ほど座談会も行います。
今回は映画制作においても上映においても
たくさんの方の暖かい応援と、ありがたいご協力をいただき
なんとかそれなりに目標を達成することができました。
この場を借りてお礼を申し上げます。
来年は、まだ日程は決まっておりませんが、引き続き上映を行います。
また、機会があれば地方での上映も行いたいと思います。
上映を企画していただける方がいらっしゃいましたら
ぜひお声をおかけください。
では、飯田橋でお会いしましょう!
カンパもよろしくお願いしますm(_ _)m
映画「かん天な人」上映予定
10/28(土) 開場18:30 上映19:00〜
東京ボランティア 市民活動センター 会議室A
(JR飯田橋駅駅ビルラムラ10階 ※2階に書店のあるビルです)
http://www.tvac.or.jp
もはやまったなしとなった北朝鮮、総聯、そして在日の問題を
題材にした話題の問題作「かん天な人」の年内最後の上映会を
10月28日(土) 東京ボランティアセンターで行います。
まだ見ていない方も、もう一度見たい方もぜひお越しください。
上映後、30分ほど座談会も行います。
今回は映画制作においても上映においても
たくさんの方の暖かい応援と、ありがたいご協力をいただき
なんとかそれなりに目標を達成することができました。
この場を借りてお礼を申し上げます。
来年は、まだ日程は決まっておりませんが、引き続き上映を行います。
また、機会があれば地方での上映も行いたいと思います。
上映を企画していただける方がいらっしゃいましたら
ぜひお声をおかけください。
では、飯田橋でお会いしましょう!
カンパもよろしくお願いしますm(_ _)m
映画「かん天な人」上映予定
10/28(土) 開場18:30 上映19:00〜
東京ボランティア 市民活動センター 会議室A
(JR飯田橋駅駅ビルラムラ10階 ※2階に書店のあるビルです)
http://www.tvac.or.jp
遅ればせながら、藤沢での「第15回 拉致被害者と家族の人権を考える市民集会」のリポートを。
この手の集まりには、通常米田一人で、参加してきたのですが、今回は監督と揃っての参加となりました。
(人権擁護法案に関する集会では5/27に同席してもらいました)
拉致問題に関わっている人々は、人一倍問題意識が高いこともあって、よく勉強されています。
当然、北朝鮮や在日社会の問題についてもシビアな意見を持っている方々も多いわけで、
監督の覚悟はありがたかったのですが、その中に入っていってもらうことに不安がないといえば嘘になります。
監督も問題意識を持ち、拉致という問題にそれこそ国境はなく、どこかの映画監督のように、
都合の悪いことは皆相手のせいにするのは卑怯なり、というスタンスですが、
自分とつながりのある部分が批判の矢面という状況にあえて足を踏み入れるのは
相当覚悟のいることではなかったかと勝手に推測しております。
もっとも早くから北朝鮮や総聯、ひいては在日そのものの意識に中立な立場で
考えてきた監督ですので、そんなところはとっくに飛び越えて、いま目の前にある「拉致」という
重大な問題に関心が到達していてのかもしれません。
何にせよ、今回の集会をきっかけに拉致問題とも表現上の世界だけでなく、リアルな部分でも
関わっていく足がかりができたことを光栄に思うとともに、自分たちの果たせる責任についても
しっかり自覚していきたいと考えております。
ちなみに今回は、須藤監督にお会いするには7日の藤沢の集会の方がいいということで
8日の町田の国民集会の方には参加しなかったのですが、当初8日の参加を予定していた監督に
「国民集会では、オープニングセレモニーに国歌斉唱がある」
と伝えたところ、監督は
「それは当然だ。ここは日本で、日本人のための集会だから」
と答えてくれました。
ということで日本晴れの10月7日(土)、我々は藤沢へ向かいました。
この手の集まりには、通常米田一人で、参加してきたのですが、今回は監督と揃っての参加となりました。
(人権擁護法案に関する集会では5/27に同席してもらいました)
拉致問題に関わっている人々は、人一倍問題意識が高いこともあって、よく勉強されています。
当然、北朝鮮や在日社会の問題についてもシビアな意見を持っている方々も多いわけで、
監督の覚悟はありがたかったのですが、その中に入っていってもらうことに不安がないといえば嘘になります。
監督も問題意識を持ち、拉致という問題にそれこそ国境はなく、どこかの映画監督のように、
都合の悪いことは皆相手のせいにするのは卑怯なり、というスタンスですが、
自分とつながりのある部分が批判の矢面という状況にあえて足を踏み入れるのは
相当覚悟のいることではなかったかと勝手に推測しております。
もっとも早くから北朝鮮や総聯、ひいては在日そのものの意識に中立な立場で
考えてきた監督ですので、そんなところはとっくに飛び越えて、いま目の前にある「拉致」という
重大な問題に関心が到達していてのかもしれません。
何にせよ、今回の集会をきっかけに拉致問題とも表現上の世界だけでなく、リアルな部分でも
関わっていく足がかりができたことを光栄に思うとともに、自分たちの果たせる責任についても
しっかり自覚していきたいと考えております。
ちなみに今回は、須藤監督にお会いするには7日の藤沢の集会の方がいいということで
8日の町田の国民集会の方には参加しなかったのですが、当初8日の参加を予定していた監督に
「国民集会では、オープニングセレモニーに国歌斉唱がある」
と伝えたところ、監督は
「それは当然だ。ここは日本で、日本人のための集会だから」
と答えてくれました。
ということで日本晴れの10月7日(土)、我々は藤沢へ向かいました。
ここまでやらかしても
制裁反対やら話し合いによる解決とか
念仏のように唱える人がいるのが不思議です。
強硬姿勢では拉致問題は解決しない
という人々となんかだぶっているようですが、
拉致を認めようともしなかった人が
政治を牛耳っていたら
拉致事件そのものが抹殺され、
5人どころか1人も帰ってこなかったんではないんでしょうかね〜。
制裁反対やら話し合いによる解決とか
念仏のように唱える人がいるのが不思議です。
強硬姿勢では拉致問題は解決しない
という人々となんかだぶっているようですが、
拉致を認めようともしなかった人が
政治を牛耳っていたら
拉致事件そのものが抹殺され、
5人どころか1人も帰ってこなかったんではないんでしょうかね〜。
救う会神奈川の藤沢での集会に参加してきました。
今回は監督ともどもです。
集会では、関係者に加え、拉致映画を撮ることを決めた
須藤久監督、拉致の舞台を上演したてんびん座の森木さんも
出席され、ここに拉致問題を取り上げた演劇、映像関係者が
一同に会することになりました。
おおげさかもしれませんが、10月7日は
歴史的な1日であったのかもしれません。
拉致問題や北朝鮮の問題を正面から取り上げた
作品をつくった者、つくろうとしている者が
顔を合わせたということはものすごいことだと
勝手に思っております。
この件については、追って詳細をお伝えします。
今回は監督ともどもです。
集会では、関係者に加え、拉致映画を撮ることを決めた
須藤久監督、拉致の舞台を上演したてんびん座の森木さんも
出席され、ここに拉致問題を取り上げた演劇、映像関係者が
一同に会することになりました。
おおげさかもしれませんが、10月7日は
歴史的な1日であったのかもしれません。
拉致問題や北朝鮮の問題を正面から取り上げた
作品をつくった者、つくろうとしている者が
顔を合わせたということはものすごいことだと
勝手に思っております。
この件については、追って詳細をお伝えします。
あらためてめぐみさんが拉致されたとき、13才の中学生だったことを考えました。
その倍以上の年月を北朝鮮にいることになり、子どもも拉致された当時の自分より
大きくなっている、このことの重大さと残酷さに気がつかない人、気づこうとしない人が
この国に、同じ日本人にいることを私は許すことができません。
その倍以上の年月を北朝鮮にいることになり、子どもも拉致された当時の自分より
大きくなっている、このことの重大さと残酷さに気がつかない人、気づこうとしない人が
この国に、同じ日本人にいることを私は許すことができません。
9/23(土)、高田馬場ババチョップシアターにて、私どもと劇場の共同企画の自主映画上映イベント「B.DASH」が行われ、畏れ多くも、そのトリとして、「かん天な人」を上映させていただきました。
「かん天な人」を含む長編3作とその間に短編を挟んで5作品、4時間半に及ぶ長丁場となり、その後の座談会・懇親会を含むと、開催時間は6時間近くになりました。短編2作品はシンプルな構成の中にすてきなメッセージのこもった胸の熱くなるような映像で、それぞれの監督の人柄をうかがわせるような作品でした。長編2作品は、作りがじつにしっかりとしていて、鶴岡監督の「THIS IS MY LIFE」は、Vシネマのギャングもの、宮田監督の「あの夏の樹」は、NHKの社会派ドラマという感じでした。特に「あの夏の樹」の、医師役の方がすばらしかったです。なんか迫力が違う、そんな感じがしました。それにしても思ったのは、クオリティーの上昇。映像機材の性能の向上と、コストの低下が、撮る機会を増やし、それが質の向上というものをもたらしているのでしょうか。20年くらい前、16mmフィルムの自主映画を撮ろうとすると、それこそ中古車1台分くらいの出血は必至でした。そう思うと隔世の感があります。
さて、座談会では、監督の紹介、コメントとお決まりの展開の後、来場客を交えてのトークへ。さすがに長時間の鑑賞の後、疲れたのか、公衆の面前で話すのはプレッシャーだったようですが、ミュージシャン女性の発言をきっかけにいろいろとお話や意見が出ました。そこで、自分も前列にいた方(短編映画の出演者でもありました)に「そういえば北朝鮮という言葉にずいぶん反応されてましたね」と振ってみると「表現に制限がないのが自主映画のいいところ」と返ってきました。じつは自分はひな壇にならんだ客席のさらに前に、斜めに置いてあったソファに腰掛けていたため、客席とスクリーンの両方を見ることができ、いい機会なので、客席の反応を楽しんでいました。その人に限らず、やはり北朝鮮問題を映像にしたというのはインパクトがあったようです。座談会後の懇親会でも、よくこんな作品を撮ったというコメントをいただきました。特にうれしかったのは、以前SCUM2000というミニシアターで「派遣屋日記番外編」という作品をご覧になった方から「はるかにおもしろくなった!」というコメントをいただいたことです。メッセージもさることながら、映像作品としての部分に対する評価もありがたい限りです。またぜひ次回作に出演したいという方もいらっしゃって、こうして輪が広がることに感謝するとともに今後にきたいしております。
当日の5/17(水)の試写会に始まり、今回の上映で、延べ鑑賞人数も100人を超えました。小さな一歩ではありますが、さらに1,000人、10,000人をめざしてがんばります!
「かん天な人」を含む長編3作とその間に短編を挟んで5作品、4時間半に及ぶ長丁場となり、その後の座談会・懇親会を含むと、開催時間は6時間近くになりました。短編2作品はシンプルな構成の中にすてきなメッセージのこもった胸の熱くなるような映像で、それぞれの監督の人柄をうかがわせるような作品でした。長編2作品は、作りがじつにしっかりとしていて、鶴岡監督の「THIS IS MY LIFE」は、Vシネマのギャングもの、宮田監督の「あの夏の樹」は、NHKの社会派ドラマという感じでした。特に「あの夏の樹」の、医師役の方がすばらしかったです。なんか迫力が違う、そんな感じがしました。それにしても思ったのは、クオリティーの上昇。映像機材の性能の向上と、コストの低下が、撮る機会を増やし、それが質の向上というものをもたらしているのでしょうか。20年くらい前、16mmフィルムの自主映画を撮ろうとすると、それこそ中古車1台分くらいの出血は必至でした。そう思うと隔世の感があります。
さて、座談会では、監督の紹介、コメントとお決まりの展開の後、来場客を交えてのトークへ。さすがに長時間の鑑賞の後、疲れたのか、公衆の面前で話すのはプレッシャーだったようですが、ミュージシャン女性の発言をきっかけにいろいろとお話や意見が出ました。そこで、自分も前列にいた方(短編映画の出演者でもありました)に「そういえば北朝鮮という言葉にずいぶん反応されてましたね」と振ってみると「表現に制限がないのが自主映画のいいところ」と返ってきました。じつは自分はひな壇にならんだ客席のさらに前に、斜めに置いてあったソファに腰掛けていたため、客席とスクリーンの両方を見ることができ、いい機会なので、客席の反応を楽しんでいました。その人に限らず、やはり北朝鮮問題を映像にしたというのはインパクトがあったようです。座談会後の懇親会でも、よくこんな作品を撮ったというコメントをいただきました。特にうれしかったのは、以前SCUM2000というミニシアターで「派遣屋日記番外編」という作品をご覧になった方から「はるかにおもしろくなった!」というコメントをいただいたことです。メッセージもさることながら、映像作品としての部分に対する評価もありがたい限りです。またぜひ次回作に出演したいという方もいらっしゃって、こうして輪が広がることに感謝するとともに今後にきたいしております。
当日の5/17(水)の試写会に始まり、今回の上映で、延べ鑑賞人数も100人を超えました。小さな一歩ではありますが、さらに1,000人、10,000人をめざしてがんばります!
監督より、あるニューカマーの韓国人との会話から見る韓国人と在日の微妙な関係について。
近くて遠いというのは、日本人と韓国人だけではないようです。
2005年、とある映画に出演したとき、ニューカマーの韓国人K君と知り合う機会がありました。結構おもしろそうな奴なので、連絡先を聞き自宅も近所だったので時間のある時には、何度か飲みにも誘いました。K君はかなり酒が好きで、自分もいける口なので、安居酒屋で延々と飲みつづける内に、韓国と北朝鮮が話題になることがありました。
K君から「北が攻めてきたらどうする」とたどたどしい日本語でたずねられので、自分は「攻めてくる可能性は今の所はないよ」と答えました。すると「そんなことでいいですか!」とかなり怒ってしまいました。K君は自分の考えに、あまりにも納得行かなかったようです。
次々とK君から出てくる言葉は、「韓国を北から守らなくてならない」の連発で、どう返していいかわからなくなった自分は、「お前は北が攻めてくると言っているが、お前は北の人間か? 攻める権限もないくせに攻めてくる、攻めてくると言うな」と言いました。それでもK君は何か言いたかったようですが、目上、年上の立場で、この話は強制終了としました。そのとき、思い切り酔っぱらっていましたが、この会話ははっきりと覚えています。
その後、彼の韓国人としての履歴を自分なりに考えてみると、彼の心理の根底には、どうも今現在の韓国に対する愛国的な強い気持ちと北の脅威に対する異常なほどの警戒があるのではと思いました。酒を飲んだときの飾らない先述した言葉が何よりの証拠だと思います。自分が肌で感じた主観ですけど、38度線の軍事境界線が引かれている厳然たる事実がある以上、その気持ちは分からないわけではありませんが、南北が血で血を争う確率が非常に高いなどと思わないで欲しい、できれば平和な統一を望みたい。少なくとも自分はそう思います。論理的な説明を延々繰り返す水掛論争は苦手だし、避けたいので、以降はこの話題には触れないようにしています。
祖国に対する熱い思いを持つK君ですが、その一方、在日韓国・朝鮮人の祖国に対する思い、祖国観はどんなものなのかを探り、考察する気はないみたいなです。一括りに同じ韓国人だと思い、僑胞だとくらいにしか思っていないようです。
K君が、そう思うことは一向にかまいません。しかしこれは、K君の個人的な考えだけでないと思うと少々複雑です。1989年の冬にソウルに行った時に、売店でたばこを買うために、店員とたどたどしい韓国語で会話したときのことです。
「タンベチュウセヨ(たばこください)」
「イルボネソワッソ?(日本から来たのか?)」
「イエ(はい)」
「イルボンサラン?(日本人か?)」
「アニヨオモニアボジガハングサランエイヨ(母親、父親が韓国人です)」
その後、店員は鼻で笑いながら「ハンチョッパリハングマルマラヨ(半分日本人=在日を卑下した呼び方、が韓国語はなしてるよ)」といっていました。何を言ってるのか大体分かり、頭に来てたばこを受け取るとその場を離れました。その当時韓国人は、在日に関してそれくらいにしか思っていなかったようです。2006年の現在はどうか分かりませんが、K君を見て大体の予想はつきます……。
※ちなみに「僑胞(きょうほう=キョッポ)」という言葉は祖国を捨て日本に渡って楽な思いをしている在日韓国人 と言う韓国人が在日韓国人を卑下した言い方だと昔きいた記憶があります。
近くて遠いというのは、日本人と韓国人だけではないようです。
2005年、とある映画に出演したとき、ニューカマーの韓国人K君と知り合う機会がありました。結構おもしろそうな奴なので、連絡先を聞き自宅も近所だったので時間のある時には、何度か飲みにも誘いました。K君はかなり酒が好きで、自分もいける口なので、安居酒屋で延々と飲みつづける内に、韓国と北朝鮮が話題になることがありました。
K君から「北が攻めてきたらどうする」とたどたどしい日本語でたずねられので、自分は「攻めてくる可能性は今の所はないよ」と答えました。すると「そんなことでいいですか!」とかなり怒ってしまいました。K君は自分の考えに、あまりにも納得行かなかったようです。
次々とK君から出てくる言葉は、「韓国を北から守らなくてならない」の連発で、どう返していいかわからなくなった自分は、「お前は北が攻めてくると言っているが、お前は北の人間か? 攻める権限もないくせに攻めてくる、攻めてくると言うな」と言いました。それでもK君は何か言いたかったようですが、目上、年上の立場で、この話は強制終了としました。そのとき、思い切り酔っぱらっていましたが、この会話ははっきりと覚えています。
その後、彼の韓国人としての履歴を自分なりに考えてみると、彼の心理の根底には、どうも今現在の韓国に対する愛国的な強い気持ちと北の脅威に対する異常なほどの警戒があるのではと思いました。酒を飲んだときの飾らない先述した言葉が何よりの証拠だと思います。自分が肌で感じた主観ですけど、38度線の軍事境界線が引かれている厳然たる事実がある以上、その気持ちは分からないわけではありませんが、南北が血で血を争う確率が非常に高いなどと思わないで欲しい、できれば平和な統一を望みたい。少なくとも自分はそう思います。論理的な説明を延々繰り返す水掛論争は苦手だし、避けたいので、以降はこの話題には触れないようにしています。
祖国に対する熱い思いを持つK君ですが、その一方、在日韓国・朝鮮人の祖国に対する思い、祖国観はどんなものなのかを探り、考察する気はないみたいなです。一括りに同じ韓国人だと思い、僑胞だとくらいにしか思っていないようです。
K君が、そう思うことは一向にかまいません。しかしこれは、K君の個人的な考えだけでないと思うと少々複雑です。1989年の冬にソウルに行った時に、売店でたばこを買うために、店員とたどたどしい韓国語で会話したときのことです。
「タンベチュウセヨ(たばこください)」
「イルボネソワッソ?(日本から来たのか?)」
「イエ(はい)」
「イルボンサラン?(日本人か?)」
「アニヨオモニアボジガハングサランエイヨ(母親、父親が韓国人です)」
その後、店員は鼻で笑いながら「ハンチョッパリハングマルマラヨ(半分日本人=在日を卑下した呼び方、が韓国語はなしてるよ)」といっていました。何を言ってるのか大体分かり、頭に来てたばこを受け取るとその場を離れました。その当時韓国人は、在日に関してそれくらいにしか思っていなかったようです。2006年の現在はどうか分かりませんが、K君を見て大体の予想はつきます……。
※ちなみに「僑胞(きょうほう=キョッポ)」という言葉は祖国を捨て日本に渡って楽な思いをしている在日韓国人 と言う韓国人が在日韓国人を卑下した言い方だと昔きいた記憶があります。
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