映画「かん天な人」「てんせいな人」を始めACT FACTORY TOPIXの作品情報、米田隆司、Park Sinhoの主張、メッセージなどをお知らせします。
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先日、監督が「めぐみ−引き裂かれた家族の30年」の映画にいってきました。
そのときのリポートと感想です。
いささか、乱暴で汚い言葉ですが、
今回のコメントの最後のところに関係するフレーズを……
お前はかかしにもなれない奴だなぁ、バカ野郎!
てめえの親分のタマとられて、誰が外人のヒットマン雇って仇とらす?
そんなバカ、いるわけないだろう!
取りあえず謳っておきます。ではここで一旦このフレーズ、しまっておきますね。
皆さんも頭のどこかに控えておいて、以下本文をお読みください。
(今回はなんか回りくどくてすいません)
2006年11月25日(土)、管理人の米田が紹介した映画「めぐみ−引き裂かれた家族の30年」を12時の回を渋谷シネマGAGAで観てきました。上映前には横田滋・早紀江さん夫妻、増元照明さんの簡単な舞台挨拶があり、上映が始まりました。30年間の拉致被害者を救うための運動の要となった出来事を表現し、それをひとつひとつ裏付けるかのように元北朝鮮特殊工作員安明進氏のコメントをカットバックするという構成の作品でした。
あまりくわしくは評論できませんが、横田さん御夫妻、増元照明さん、本当に日本のただ一民間人が身内を救うために身の回りの人間の説得から始まり、国を動かし、拉致被害者の方々を救うために小泉純一郎総理大臣(当時)を訪朝させた行動力は、決して奇跡やミラクルで片づけられるような偶然の幸運ではないと思いました。北朝鮮の理不尽な行為に対する怒り、家族の絆は誰の手を持っても永久に断ち切ることなど出来はしないと確信する執念、そして何より命に代えても我が子を守るという覚悟が、彼らをここまで行動させたと思います。きれいごとなど一切入る余地なしです。
2006年の今になってようやき、拉致被害者を救う動きが本格的に始まってはいますが、運動を始めた当初は散々だったと聞いています。言葉だけきれいごとを並べ、何も行動しない、協力さえしない、そして何より我関せずの無関心の人間の方が、圧倒的に多かった状況で、ものすごいことを成し遂げたと思います。そのことは、映画を通じてしっかりと伝わってきました。自分の主観的な意見になりますが、横田夫妻の原動力は、彼らが『尊き命』を誰よりも重んじる人間であるからこそだということを感じずにはおれませんでした。
一方、安明進氏は特殊工作員時代の自分は、「人は少しの手間で殺せるし、ビルだってすぐに爆破できる」と豪語するような人間だったと告白。そんな教育を北朝鮮から受けた事を恥じ、国の体制を激昂した口調で罵っていました。人の命などうすっぺらなものだから、命令を受けたらすぐに殺してしまえと教育された恨みであろうと思いました。そんな教育を受けた人間であっても、何かのきっかけで自分もまた温かい血が流れている人間であることに気づき、尊くもはかないという命の重さを知ることになり、それが職務を否定し、北から追われる身を選択したのかもしれません。そして、「これから北朝鮮から追われる身なりますが、どうしますか?」という問いに対しては、一言「運命です」と答えました。その言葉の奥には刺し違えても追っ手は蹴散らしてやるぞという強い意思を感じました。明進氏も、金正日対しては、恨(ハン)以外に持つべき言葉がないのでしょう。
上映が終わると拍手が鳴り響き、涙ぐむ人もたくさんいました。画期的な試みですばらしい上映でした。
しかし、このことだけは、シビアにいわせていただきます。この作品はどこの国の人間が制作したのでしょうか? 映画のチラシには「監督:クリス、シェルダン&パティキム アメリカ映画」と記載されています。
本来は日本の映画界から、自主、商業を問わず、映画監督が名乗りを上げ、競って拉致に対する怒りを訴える作品を制作しなければならないのではないでしょうか。監督に限らず、日本の映画界の方々は本当にお気楽でいいですね。愛だ、人情だ、勇気だというからには、この非情で切実なテーマにほんの少しでも挑もうとする気概をどうして見せてくれないのでしょうか? さて、ここで冒頭のフレーズを思い出してください。2つのフレーズはこの部分にかかります。映画の内容には一切関係ありません。くれぐれもご注意ください。
そのときのリポートと感想です。
いささか、乱暴で汚い言葉ですが、
今回のコメントの最後のところに関係するフレーズを……
お前はかかしにもなれない奴だなぁ、バカ野郎!
てめえの親分のタマとられて、誰が外人のヒットマン雇って仇とらす?
そんなバカ、いるわけないだろう!
取りあえず謳っておきます。ではここで一旦このフレーズ、しまっておきますね。
皆さんも頭のどこかに控えておいて、以下本文をお読みください。
(今回はなんか回りくどくてすいません)
2006年11月25日(土)、管理人の米田が紹介した映画「めぐみ−引き裂かれた家族の30年」を12時の回を渋谷シネマGAGAで観てきました。上映前には横田滋・早紀江さん夫妻、増元照明さんの簡単な舞台挨拶があり、上映が始まりました。30年間の拉致被害者を救うための運動の要となった出来事を表現し、それをひとつひとつ裏付けるかのように元北朝鮮特殊工作員安明進氏のコメントをカットバックするという構成の作品でした。
あまりくわしくは評論できませんが、横田さん御夫妻、増元照明さん、本当に日本のただ一民間人が身内を救うために身の回りの人間の説得から始まり、国を動かし、拉致被害者の方々を救うために小泉純一郎総理大臣(当時)を訪朝させた行動力は、決して奇跡やミラクルで片づけられるような偶然の幸運ではないと思いました。北朝鮮の理不尽な行為に対する怒り、家族の絆は誰の手を持っても永久に断ち切ることなど出来はしないと確信する執念、そして何より命に代えても我が子を守るという覚悟が、彼らをここまで行動させたと思います。きれいごとなど一切入る余地なしです。
2006年の今になってようやき、拉致被害者を救う動きが本格的に始まってはいますが、運動を始めた当初は散々だったと聞いています。言葉だけきれいごとを並べ、何も行動しない、協力さえしない、そして何より我関せずの無関心の人間の方が、圧倒的に多かった状況で、ものすごいことを成し遂げたと思います。そのことは、映画を通じてしっかりと伝わってきました。自分の主観的な意見になりますが、横田夫妻の原動力は、彼らが『尊き命』を誰よりも重んじる人間であるからこそだということを感じずにはおれませんでした。
一方、安明進氏は特殊工作員時代の自分は、「人は少しの手間で殺せるし、ビルだってすぐに爆破できる」と豪語するような人間だったと告白。そんな教育を北朝鮮から受けた事を恥じ、国の体制を激昂した口調で罵っていました。人の命などうすっぺらなものだから、命令を受けたらすぐに殺してしまえと教育された恨みであろうと思いました。そんな教育を受けた人間であっても、何かのきっかけで自分もまた温かい血が流れている人間であることに気づき、尊くもはかないという命の重さを知ることになり、それが職務を否定し、北から追われる身を選択したのかもしれません。そして、「これから北朝鮮から追われる身なりますが、どうしますか?」という問いに対しては、一言「運命です」と答えました。その言葉の奥には刺し違えても追っ手は蹴散らしてやるぞという強い意思を感じました。明進氏も、金正日対しては、恨(ハン)以外に持つべき言葉がないのでしょう。
上映が終わると拍手が鳴り響き、涙ぐむ人もたくさんいました。画期的な試みですばらしい上映でした。
しかし、このことだけは、シビアにいわせていただきます。この作品はどこの国の人間が制作したのでしょうか? 映画のチラシには「監督:クリス、シェルダン&パティキム アメリカ映画」と記載されています。
本来は日本の映画界から、自主、商業を問わず、映画監督が名乗りを上げ、競って拉致に対する怒りを訴える作品を制作しなければならないのではないでしょうか。監督に限らず、日本の映画界の方々は本当にお気楽でいいですね。愛だ、人情だ、勇気だというからには、この非情で切実なテーマにほんの少しでも挑もうとする気概をどうして見せてくれないのでしょうか? さて、ここで冒頭のフレーズを思い出してください。2つのフレーズはこの部分にかかります。映画の内容には一切関係ありません。くれぐれもご注意ください。
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