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ひさびさの監督からのコメントです。
じつは、ちょっと前に打ち合わせをしているときに出た話です。
確かに韓国政府は、何かにつけ、在日の処遇について要求してきますが、自分で何かをするという話は聞いたことがありません。その一方で在日は、朝鮮戦争期、復興期などで祖国を支援してきました。在日企業も韓国の経済発展に尽力してきたようですが、それに対して……という感じです。
日本や日本人に対してだけでなく、同じ民族であるはずの在日にまで、こんな感じで、はたしてその行き着く先に待っているものはなんでしょうか?
在日の最終的な処遇に関して、いろいろ意見はあると思いますが、最終的な保護責任は韓国政府にあるのは、ほぼ異論のないところと思います。
監督自身が在日韓国人としてこのことをどう見ているのか、自分自身のスタンスを通じてコメントをもらいました。
自分が韓国籍でいる訳
このブログをご覧の皆様はすでにご存知のように、映画「かん天な人」を発表して以来、自分は在特会イベント等在日特権を批判する集会に参加したり、このブログにそのようなコメントを書いたりしています。そして、自分の動向やコメントは、あちこちで紹介されています。そのため、自分はもう既に帰化して日本籍を取得しているのではないかと思われる人もおられるかと思いますが、実は、今現在も韓国籍のままです。
これには少し意味があります。現在北朝鮮は、崩壊寸前の状態で、一方の韓国も先進国、民主国家を気取っていますが、実態は張り子の虎です。北の政治破綻が確実になったとき、韓国政府は、在日に対し、どのような政策を立て、どう対応するのかを、身をもって体験したいからです。植民地支配の清算やら何やら、何かにつけ賠償金や援助を要求してきた、韓国政府の対応はおもしろいくらい期待ができます。
北朝鮮が無政府状態に陥った場合、間違いなく「どこかの国」が、政治・軍事両面から介入し、北朝鮮を軍政下に置くことになるでしょう。そうした中で、韓国政府が、ひとつの韓国(韓国では朝鮮半島を「韓半島」と呼び、北朝鮮を「北韓」と呼んでいます)を、強引に主張し、その政権にコメツキバッタのようにへばりつき、あわよくば脇から利権のおこぼれに預かろうとすることは容易に想像できます。いわいる朝鮮人特有の事大主義に成り下がることですね。その政権は、大方予想できますが、この場でそれに言及することは控えます。
さて、北朝鮮の問題が決着したとき、韓国は日本に対して、今までように、常套手段の「在日を出汁にし、無理難題をあれこれ要求する」ということが成り立たなくなると思います。その実態は、在日を日本に押し付けながら、都合のいいところでは、在日は自分達の同胞であるとして、駆け引きの道具に使ってきたということです。つまり食い物ですね。韓国が在日に関して日本に要求してきたことは、差別利権での不当請求そのものではないかと思います(在日を出汁にしない場合でも不当請求が多いですね)。
つまり北朝鮮問題の決着は(現政権の崩壊をもって決着するかどうかは別として)、同時に、韓国政府が在日の存在自体を、どのように位置付けるのかという、より大きな問題の始まりでもあるということです。在日の存在理由のひとつに「祖国分断による一時非難」という側面がありますから、南北分断問題が一応の決着を見れば、日本政府がとってきた在日に対するさまざまな措置も、必然的に継続する必要性が下がることになります。必要性が下がるということは、韓国政府にとって、食い物にできる旨味も減るということです。
糞ったれとしか言いようのない金正日などは、在日の金が欲しいために、「海外公民」などと口から出任せを言って、持ち上げ、タカるだけタカっていました。韓国政府にも似たようなところがありました。そんな手段が通じなくなったとき、韓国政府は、純粋に在日を丁重に扱う意思をもって、「海外公民」だと公言し、韓国人としてのステイタスを与えてくれるのでしょうか? 答えははっきりしています。このようなチャンチャラおかしいことは、雪が夏に降って、太陽が西から上がってもやらないであろうと。
あくまで自分の予想ですが、韓国政府は、手のひらを返したように、確実に在日を亡き者と考え、放置することになると思います。そしてこれも予想ですが、最終的に在日韓国人は、日本の行政機関が動き出し、韓国系日本人になるよう、帰化促進を在日全体に浸透するような行政指導があると思います。あるいは、出生主義をとり、今後出生する子供は、成人時に日本国籍か韓国籍かを選ぶようにするか、です。しかしそれとて、あくまで日本国政府の「恩恵」にかかっているものであり、今後の状況によってどうなるかわかりません。しかし最悪の事態になっても、韓国政府が救済の手を差し出すことはないことは、自信を持って言うことができます。
もしその瞬間を自分が生きている間に体験することができたら、このブログに於いて、身を持って得た事実としてお知らせしようと思っています。